店名の由来について

むかしむかし、「ソワカ」と言う名の天女さまがいたそうです。
ソワカは、火の神様アグニに恋をしています。
その天女の名前「ソワカ」から文字をお借りして「ソワカフェ」と言う店名にしました。

  
  
珈琲豆を火で焙煎するのが珈琲豆屋の一番たいせつな工程。「火」をどう操るか、「火」「炎」の大きさ、勢い、形、色、などをよーく観察制御するのが珈琲豆焙煎の大切な部分です。
「火」と戦う、制御するのも必要ですが、「火」と仲良く、「火」に流されながらの焙煎も大事だと思っています。そんな気持ちを表すため、ソワカのカフェ、「ソワカフェ」と名付けました。



  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

私どもの店名「ソワカフェ」 は親友で真岡の陶芸家の上野さんが命名してくれました。

親友の陶芸家のなのぽったさんに店名の由来を言及していただいたのに触発されて、以下長いですが、少し調べてみました。


■ とりあえず、「ソワカ」は、「火の神アグニに恋をした天女の名前」、との仮説を採用しておきます。「マハ-バーラタ」と言う古代インドの叙事詩にそのよう書いてあるらしいです。 
  要約(2/27_2011_現在)
「サンスクリット」は、「言語」の一種。宗教(例:ヒンドゥー教・仏教)・学術・文学等の分野で幅広く長い期間使われてきた。「文字」の成立する以前より使われている。紀元前1500年頃にリグ・ヴェーダに用いられた。以来、文字化されるまで長らく口承された。(その証拠、根拠は未調査。文字の記録がないのにどうやって調査できたのか謎なんです。)
– 現代一般にPC上で表記に使っているインド系フォントは、「デーヴァナーガリー」って言う「文字」。現代インド国が制定している公用語の内、一番目に来る「ヒンディー語」って言う「言語」を表記するときは主に使われている。現代、PC上や印刷物などで、「サンスクリット」って言う「言語」を表記するのにこの「文字」を使うことが多い。

– 日本のお寺で(石塔、塔婆などに)よく使っているのは、「シッダマートリカー」って言う「文字」。この文字で「サンスクリット」って言う「言語」を表記している。

【sowaka(アルファベット、正確にはラテン文字)】【そわか(ひらがな)】【ソワカ(カタカナ)】【薩婆訶(漢字)】【स्वाहा(デーヴァナーガリー文字)】、、、これらはすべて同列。表そうとしている「ことば(言語)」は「サンスクリット語」であり同一。どれが正しいと言うものではない。 

★ところで、本当にサンスクリット語が「ソワカ」の由来なのかどうか、って言うのは別問題。例えば、釈迦の時代、一般に日常の生活において用いられていた「言葉」は「サンスクリット語」ではない。「地方口語」(「プラークリット」と呼ばれる。「パーリ語」など)が一般に用いられていたらしい。


↓_以下、まとまってないし、長いので、適当にスキップしてください。_↓

■「そわか」はサンスクリット文字? 正確にはこれはデーヴァナーガリーって言う「文字」で、いわゆる梵字(シッダマートリカーって言う「文字」)とは違うらしい。 下の方で、そもそも「文字」って何? って話になります。
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■スヴァーハー (स्वाहा [svaahaa])は、密教に於いては真言(真言の意味は後述)の末尾に多く使われる言葉。一般には漢訳の薩婆訶(ソワカ)として知られる。
この言葉は本来、バラモン教の儀式において、天上の全ての神々に捧げられた供物の事を指していた。またそれ自体が神格化され、祭火の神アグニの妻の女神とも考えられている。
儀式の際には、供物を祭火に投じる時の掛け声としてこの言葉が唱えられた。この為、後には「スヴァーハー」は、願いが神々に届く事を祈る聖句とされた。(wikipediaより引用)
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■原音は「スヴァーハー」
漢字は音写ですので、訳者によって用いる漢字が異なるのはよくあることですね。地名のカタカナ表記が違っていることがよくあるでしょ?ニホン、ニッポン、ヤーパン、ジャパン、ジャポン・・・。このようなものですね。
さて、スヴァ-ハーですが、これは仙人(リシ)の娘の名前なんです。
「7人の仙人(北斗七星)に呼び出された火の神アグニは、仙人の7人の妻を見て欲情するが自制して森に入ります。ダクシャの娘スヴァーハーは、アグニに恋をしますが受け入れられず、仙人の妻らに変身して思いを遂げ、その精液からスカンダ(韋駄天)が誕生します。
のちにスカンダは、永遠にアグニと暮らしたいというスヴァーハーの願いを受け入れ、以来、火中に供物を投げ込むバラモンは「スヴァーハー」と唱えることとなり、スヴァーハーはアグニと暮らせるようになった」
以上のような説話がマハ-バーラタ(後述)に記されております。
(Yahoo!知恵袋_naka_photo00氏より引用)


 

□ 『マハーバーラタ』は、古代インドの宗教的、哲学的、神話的叙事詩。ヒンドゥー教の聖典のうちでも重視されるものの1つであり、また世界3大叙事詩の1つとされる。『ラーマーヤナ』と並ぶインド2大叙事詩の1つでもある。

パーンダヴァ王家とカウラヴァ王家の間に起った同族間戦争を主題とし、さらに様々な伝承やヒンドゥー教の説話、詩などが付け加えられて、グプタ朝ごろに成立したと見なされている。伝統的には作中人物の1人でもあるヴィヤーサの作と見なされているが、実際の作者は不明である。

原本はサンスクリットで書かれ、全18巻、100,000詩節、200,000行を超えるとされる。これは聖書の4倍の長さに相当する。
『マハーバーラタ』のうち『バガヴァッド・ギーター』は宗教上、特に重視され、また著名な部分である。(wikipediaより引用)


( ↓ 大悲心陀羅尼について ↓ )(最後の部分に”そわか”がある)

■禅宗でよく読まれる陀羅尼に、『大悲心陀羅尼』というものがある。禅宗で真言というのも違和感があるかもしれないが、中国から続く伝統らしい。
五種不翻というのがあって、①用語が周知の場合、②仏の秘密語である場合、③多義的である場合、④中国にない概念である場合、⑤言葉を尊重する場合とされている。陀羅尼が訳されないのは、このうち②の理由によるものだ。

しかし、梵文が手に入る今になってみると、漢字で音写されたものを、さらに日本人の読み癖で読むので、もともとの発音から大いに逸脱している。訛りに訛ったお経が、仏に通じるのだろうか。

以下、『大悲心陀羅尼』の最後の部分の、原文、漢訳、現在の曹洞宗での読み方、原文の読み方を並べてみた。

 ・ सिद्ध्यन्तु

 ・ मन्त्रपदाय स्वाहा॥ 

 ・ 悉殿都。漫哆囉。跋陀耶。娑婆訶

 ・ シテドー モドラー ホドヤー ソーモーコー

 ・ スィッディヤントゥ マントラパダーヤ スヴァーハー

梵文の原題が『青頸陀羅尼』となっている通り、仏教が説かれているのは最初と最後だけで、大部分がシヴァ神を讃える内容。

([http://www.tgiw.info/weblog/2009/10/post_616.html:title=寺日誌]より引用。)

 


( ↓ 梵字による最古の般若心経と佛頂尊勝陀羅尼 ↓ )(最後の部分に”そわか”がある)

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□東京国立博物館所蔵『梵本心経および尊勝陀羅尼』。梵字による最古の般若心経と仏頂尊勝陀羅尼が記された、法隆寺貝葉経。日本国指定の重要文化財。
(wikipediaより引用)


 佛頂尊勝陀羅尼について  (最後の部分に”そわか”がある)

■釈迦は、一切の悪業障を消滅する功徳のあるこの陀羅尼を授けたところ、夜に閻魔王が仏前に拝し、この陀羅尼を拝するものを守護し、地獄に陥らしめないと誓願する。

□佛頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに)第十成就涅槃門 成就あれ 「そわか

□尊勝仏頂に捧げられた陀羅尼として「仏頂尊勝陀羅尼」が知られる。これは、唱える事によって滅罪、生善、息災延命などの利益が得られるとして日本でも古くから知られ、多くの霊験談が残されている。特に百鬼夜行に巻き込まれた場合、この陀羅尼を唱えたり書き記した護符を身につけることによって難を逃れるという。

(   [http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/indexZ.htm:title=HP]より引用)


(般若心経について)(般若心経の後半は呪文であり、その最後に”そわか”がある)

■『般若心経』は大乗仏教の空・般若思想を説いた経典の1つ。宗派によって呼び方は様々あり、この他に仏説摩訶般若波羅蜜多心経、摩訶般若波羅蜜多心経、般若波羅蜜多心経と言う。略称として心経。なお、漢訳には題名に「経」が付されているが、サンスクリットテキストの題名には「経」に相当する「スートラ」の字句はない。

僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、一部の宗派を除き僧侶・在家を問わず、読誦経典の1つとして、永く依用されている。

般若経典群のテーマを「空」の1字に集約して、その重要性を説いて悟りの成就を讃える体裁をとりながら、末尾に付加した陀羅尼によって仏教の持つ呪術的な側面が特に強調されている。

陀羅尼は雑密の呪文で、サンスクリットの正規の表現ではないため翻訳できず、仏教学者の渡辺照宏説、中村元説など、異なる解釈説を行っている。

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□以下は、代表的な流布テキストに句読点を施したものである。

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仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経
<<

なお、羅什訳・玄奘訳とも、「般若波羅蜜(多)」「舍利弗(子)」「阿耨多羅三藐三菩提」「菩薩(菩提薩埵)」及び最後の「咒(しゅ)」の部分だけは漢訳せず、サンスクリットをそのまま音写している。 また、玄奘訳とされるテキストには版本によって、字句の異同が十数箇所存在する。

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■般若波羅蜜多心経 唐三蔵法師玄奘譯

ガテー ガテー パーラガテー バーラサンガテー ボーディ スヴァーハー

掲帝  掲帝   波羅掲帝   波羅僧掲帝   菩提  僧莎訶

ぎゃてい  ぎゃてい  はらぎゃてい  はらそうぎゃてい  ぼじ そわか

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。

(岩波文庫 中村元 紀野一義 訳註より引用_「この真言は文法的に正規のサンスクリットではないため、決定的な翻訳は困難であり、参考のために、」との注釈あり)


 

■『般若心経』は、最後のところで、

――― 呪(しゅ) ―――

を掲げています。すなわち、

《羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。》

とあります。これが「呪」です。

呪は、サンスクリット語で”マントラ”といい、簡単にいえば、

――― 真言 ―――

です。「真実の言葉」であり、「仏の言葉」です。

そして、仏の言葉はサンスクリット語です。釈迦はサンスクリット語で説法されました。

もっとも、学者の研究によりますと、実際に釈迦が喋っておられた言葉はアルダ・マーガディー語であって、サンスクリット語ではなかったといいます。

しかし、それがわかったのは明治以後の新しい仏教学の研究成果によるものであって、明治以前の人々は、釈迦は梵語(サンスクリット語)を使っておられたと信じていました。
で、釈迦の言葉、漢訳仏典においては中国語に翻訳しないで、そのまま唱えることになっています。

したがって、《羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。》といった真言は、サンスクリット語をそのまま漢字で音訳したものです。

本人であれば、ここのところはカタカナで表記するでしょうが、中国語にはカタカナがありませんので、漢字で音を表記したものです。
それ故、この部分は、漢字の意味を考えても無意味です。
まさにこれは音標文字でしかないからです。

では、《羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。》の元のサンスクリット語の意味はどういうものでしょうか・・・・・・? 
じつをいえば、これは相当に崩れたサンスクリット語であって、よくわかりません。

ひろさちや「[http://www.koudou-t.com/:title=こだわりを捨てる]」(般若心経)より引用


 

○真言とは、古代インドでは、マントラの訳語で、元来ヴェーダの祈祷句を指す。諸神の徳を唱える讃歌を指す。密教では、如来等の諸尊の真実にして虚妄ならざる言語、つまり聖なる真実の言葉の意味。

○陀羅尼とは、ダーラーニーの音写であり、保つという意味。記憶等を保持する力を意味している。

○明とは、知るという意味で、愚闇を除いて真理に通達する智慧のこと。

 ともに、仏の力を内に生み出す聖句という意味であり、同義語であるといえる。

 また、真言は、唱える中にあってこそ力となるものであり、意味の理解を目的としたものではない。

 基本的に古来の漢訳者も、音写として訳し、意訳しないのが通例である。

<参考> ソワカ・・・聖句の末尾に置いて、「成就あれ」の意味。
(piicats氏のHPより引用)


( ↓ ことばと文字について ↓ )

■サンスクリットは「言語」、「言語」を表記する手段が「文字」。 だから、複数の「文字」で、サンスクリット「言語」を表記されて残っている

■梵字、悉曇、梵語、サンスクリットなどの意味やその発展を検討([http://www.geocities.jp/nakada927/bonji/index.html#ank:title=リンク])

■デーバナーガリー文字(現代サンスクリット語を表記するための文字?)と梵字(サンスクリット語を表記するための仏教系文字?)は別。

■「梵字」って言う言葉は、あくまで日本で使っている単語なのか? 漢字では「悉曇」って言うらしい。

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■梵語 – 仏教での伝播、日本での一般認識

仏教では最初、ヴェーダ文献の聖性を否定し、より民衆に近い水準の言葉で文献が書かれたため、サンスクリットが使われることはなかったが、大体紀元の前後を境にして徐々にサンスクリットが取り入れられ、仏教の各国への伝播とともに、サンスクリットも東アジアの多くの国々へ伝えられた。

日本は中国経由で、仏教、仏典とともにサンスクリットにまつわる知識や単語などを取り入れてきた。その時期は非常に古く、すくなくとも真言宗の開祖空海まではさかのぼれる。

実際に、仏教用語の多くはサンスクリット由来であり、例えば(”僧”、”盂蘭盆”、”卒塔婆”、”南無阿弥陀仏”など無数にある)、”檀那(旦那)”など日常語化しているものもある。

また、経典のうち陀羅尼(だらに、ダーラニー)、真言(マントラ)は漢訳されず、サンスクリットを音写した漢字で表記され、サンスクリット音のまま直接読誦される。陀羅尼は現代日本のいくつかの文学作品にも登場する(泉鏡花「高野聖」など)。

卒塔婆や護符などに描かれる梵字は、サンスクリットに由来する文字である。(ただし、一般的なデーヴァナーガリーとは多少異なる悉曇(しったん、シッダーム)文字に由来している。)

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□ 悉曇(しったん、Siddhaṃ)は、梵字の字母のこと。また、その音声。成就、吉祥の意味。

□ 梵字(ぼんじ)はインドで使用されるブラーフミー文字の漢訳名である。ブラーフミーは「ブラフマン(梵)の創造した文字」を意味する。また、単に「梵語(サンスクリット)を表記するための文字」とも解される。

インドでは紀元前後にセム系文字に由来するブラーフミー文字とカローシュティー文字の2系統がある。このうちの前者がグプタ文字から発達して6世紀ごろにシッダマートリカー文字となった。さらに7世紀頃ナーガリー文字に発達、10世紀にはデーヴァナーガリーとなった。

□今日の日本で悉曇文字(梵字)と呼ばれるものは、シッダマートリカー文字の一変種が仏教とともに中国を経由して伝来し、保存されたものである。数多くの梵字で書かれた文献が伝わっている。この頃のインドにまだ紙はなく、ほとんど貝葉に書かれている。シッダマートリカー文字は現在のインドでは使われておらず、現在、サンスクリットの筆記や印刷に主に用いられるのはデーヴァナーガリーであり、他にはインド南部でグランタ文字が使われている。

日本で梵字という場合は、仏教寺院で伝統的に使用されてきた悉曇文字を指すことが多い。これは上述のシッダマートリカーを元とし、6世紀頃に中央アジアで成立したと見られる。

日本には仏教伝来と共に漢訳された経典と共に伝来したが難解なために、文字自体を仏法の神聖な文字として崇めた。天平期には遣唐使や道璿、鑑真らの唐僧が悉曇梵語に堪能で、徐々に広まっていく。大安寺で唐僧仏哲と天竺僧菩提僊那が悉曇梵語の講義を行うと、日本人僧にも悉曇梵語の読み書きが浸透していく。

平安時代に入ると、最澄、空海らが悉曇梵語の経典を大量に唐から持ち帰る。彼らにより、真言として梵字は一般の人々の間にも広まった。
以上の経緯から、日本においては、梵字は単なる文字ではなく、それ自体に力がある霊的な神聖文字である、と信じられることになった。以下の記述はそうした考え方に従ってのものである。

種子:梵字(悉曇文字)は一字一字が諸仏諸尊をあらわしており、ひとつの梵字が複数の仏を表すことがほとんどである。これを種子(しゅじ)または種字という。一つの仏でも金剛界、胎蔵界で違う文字を使う場合もある(例:大日如来:胎蔵界:a/金剛界:vam)。(wikipediaより引用)

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■悉曇(シッタン)、梵字

お墓の卒塔婆や真言宗などのお寺の境内でみかける奇妙な文字を普通「梵字」と呼びます。梵語(サンスクリット語)を書くための文字という意味です。しかし、日本に伝わって使われている文字は、6世紀から9世紀頃に北インドで使われた「シッダ・マートリカー」と呼ばれる文字なので、日本でも正しくは「悉曇」と呼ばれ、文字だけでなくサンスクリットの研究自体が悉曇と総称されたりもしてます。

「シッダ・マートリカー」は、「成就した」(シッダ)「文字」(マートリカー)という意味の言葉ですが、字母表の最初に「シッダム・アストゥ」「成就あれ」という風に書かれることからこう呼ばれたのだというのが通説です。しかし、おそらくは、それ以前に使われていたブラーフミー文字が俗語を書くためには十分でも、古典語であるサンスクリットを書くためには不十分であった点を改良して「サンスクリット」(完成した)に対応する「成就した」文字になっていることを指して用いられた言葉ではないかと思われます。

この文字は、中国を経由して、奈良時代から日本の仏教僧にも知られていましたが、日本において本格的に学ばれるようになったのは、平安時代の初めに、弘法大師空海を筆頭とする入唐僧たちが、中国に留学して学び、多くの文献などを持ち帰って以来のことです。

悉曇の音韻論的分析から日本語の50音図が生み出されましたし、江戸時代には日本語との比較の視点を提供することで、国学の発展にも悉曇学は寄与しています。
しかしなんといっても、真言宗と天台宗を中心とする密教の流れの中で梵字に特別の意味が与えられてきたために、身近に多くの梵字を見ることができるのです。密教では、基本となる「あ」のような音(音素)に、仏や宇宙の要素(5大)などを象徴する特殊な意味を認め、それを書き表すには梵字を使います。たとえば「あ」は、始まり・本源・究極を意味し、仏としては大日如来を示します。

(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・国立民族学博物館協賛展示会[http://www.aa.tufs.ac.jp/i-moji/:title=HP]より引用。)


( ↓ そもそもインド系文字とは ↓  )(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・国立民族学博物館協賛展示会[http://www.aa.tufs.ac.jp/i-moji/:title=HP]より引用)

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文字は、本来、ある時代の特定の言語を表記するために考案された記号のあつまりです。たとえば、漢字は中国語、ブラーフミー文字はプラークリット(古代インドの言語)、アラビア文字はアラビア語というぐあいです。しかしこれらの文字が故地から遠く伝播し異なる言語を表記する場合、さまざまな問題に直面することになります。

以上

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